こころ休まる気持ち

照り続く 日かげなやみし 小山田に うれしく そヽぐ 夕立の雨

 おみくじの句である。

久々に諏訪大社上社本宮へ行った。

心のもやもやを神社の神聖な空気で払拭するために。

 私は、何か心がもやもやとしたり、何かしっくりいかないな。と感じている時によく訪れる。

一礼して鳥居をくぐる。

 私は、守矢山方面の駐車場に車を止めるため正面の鳥居からではなく、守矢山の方にある鳥居をくぐる。

 贄掛けの欅を仰ぎ、何度見てもその大きさ雄大さに圧倒されしばし呆然と見上げていた。

布橋を歩きながら境内に入ったときから強く吹き付けてくる風を感じていた。

 この風を体に受けるとどういうわけか心が洗われていくような、もやもやが吹き付ける風とともに払われているような気がする。

 諏訪大社、上社本宮は観光客で賑わっていた。

手水舎で身を清めるにも順番待ちだった。

全国各地から集団で旅行がてら訪れる人が多いようで、神社の説明をする担当者が大声で御柱の前にたち由来を説明していた。

 拝殿は階段を上がったところにあり、人にぶつからないように階段をゆっくり上がっていった。

境内上段に入る門をくぐっても人は多く、お札を購入する人達が巫女に何か聞いていた。

 私は拝殿に続く石畳を歩き始めた。不思議なことにあれだけいた観光客が誰も私の周りにいなくなっていた。

 いつもそうだが、なぜか私が拝殿に参拝するときは誰もいなくなるときが多い。

今日も、拝殿に向かって敷き詰められた石畳をあるきはじめた時から周りに誰もいなくなっていた。

一人拝所に立ち拝殿を拝む。 何度、この拝所に立っただろう。数えきれないことは間違いない。

 一人拝所の前に立っていると神聖な空気に包まれ、穏やかな気持ちになっていた。

参拝に訪れる度いつも願い事等をお願いしてきたが、不思議なことに今日は全く違った気持ちになっていた。 「ありがとうございます」この気持ちだけが心の奥底から湯水のように湧き出していた。

賽銭箱にお金を投じたあと二礼二拍手一礼をし、手を合わせる。

ほとんど無心だった。なぜか涙が溢れそうになりながら、心の中からあふれ出る「ありがうございます」という気持ちを繰り返し素直に念じていた。全く、願い事など浮かんでこない。

 冒頭の句は、お参りをした後に引いたおみくじの句だ。

内容は、枯れ果てた他の苗も夕立の雨に合って 再び生き返り 秋の収穫も心配なく見込まれるような運、何事も正直にし、他人を恨まず仕事にはげむこと

とある。 ありがたいお言葉を頂いただと思いおみくじを大事に持ち帰った。

 私は普通の日本人だから、当たり前のように正月やお祭り等、祭事には神社へ参拝にいくし、法事はお寺である。

宗教と呼べるかどうかはとても曖昧で、日本人としてそれが生活の一部になっている。

 自然を愛し、人に迷惑をかけないように「いつもお天道様が見ている」と心のどこかで確信しているからそれが、心のよりどころになっているのかもしれない。と感じていた。

 人の数だけ悩みがあると言うが、私たちにはいつも見守っていてくれる意識(それを神というのかは個人差があるが)が必ず側にいると思うだけで心が休まるものだと心から感じた。

手汗とめる薬

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